ダンサーインザダーク

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

200年に映画館で見ました。
誰と見に行ったのかははっきり覚えてないんやけど、救いのないラストシーンのげんなり感はリアルに覚えてる。2度と見るつもりは無かったんですが、最近ターザン山本の日記の中でダンサーインザダークについて書かれてあるのを見て、もう一度見たくなったのです。


見た感想、好きにはなれないけど、改めて見てよかった。
作家の阿部和重さんがパンフにこう書いているらしい(パンフは持っていないのですが)。

刑の執行を控え、死の恐怖が最高潮に達したセルマは、息子の手術成功を知らされていくらか安堵し、心音の律動に誘われて唄いだす。『夢想』の中でのみ演じられてきたミュージカルが、ついに『現実』の側へ流出したのである。そのとき絞首台はミュージカルの舞台と化し、セルマは客席に向けて最後(から二番目)の歌を唄い続ける。彼女はやっと念願の舞台に立てたわけだ。次にセルマは、全身を拘束されたままの状態で、タップダンスさえも演ずるだろう(彼女はずっとタップダンスにこだわっていた)。死刑執行のベルが響いた数秒後、セルマは床を一度大きく踏み鳴らし、台下へ落下する。こうして、絞首台上のミュージカルは終演する。見事に演じきった(現実と夢想を媒介させた)セルマの遺体を覆い隠すように、左右から幕が引かれ、カメラは浮上する。

確かに、ラストシーンはかなり違和感があった。見るに耐えないシーンのはずなのに、セルマが吊るされているシーンはコミカルでさえあった。あれは監督からの観客へのネタ晴らしシーンだったのかもしれない。

なぜ最後の歌を聴くべきでないのか、というかなぜセルマは、ミュージカルの終りを拒否したのか。エンドロールの音楽は、導入部(三分半の黒み画面)で流れたものと同一曲(ソング・ヴァージョン)である。物語の全体を見終えた私たちはそのとき、作品の冒頭に帰っているのだ(歌を加えた形で)。つまり『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の物語は、様相を更新させた(夢想と現実の反転した)状態から再スタートする、と見るべきだろう。

救いのないストーリーに嫌な気持ちになったが、この批評を読んで確かにと納得させられた。でも3回目は無いわぁ。俺はもっと素直に楽しめる映画が好きです。


この映画見てから、ビョークが、同じ歌手ということもあって元Judy And MaryYukiに似てるなーって思ってたんやけど、ビョークの小さいころのあだ名が「日本人」だったとどこかに書いてあった。言われてみると確かに日本人顔。


阿部さんの批評は、白夜通信さんのサイトから転用させてもらいました。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/eiga-31.html